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韓国側発題文

望ましい韓日関係のための2つの要素
−正しい歴史認識と文化理解


1.背骨を共有する双子、韓国と日本

一般的に知られる双子は、一卵性と二卵性の二種類だ。1つの受精卵が細胞分裂して作られる一卵性双生児は外見が似ていて、一方、2つの卵子がそれぞれほかの2つの精子と同時に受精して生まれる二卵性双生児は、説明しなければ双子だとは簡単に分からない外見をしている。そしてこれらの双子以外に、身体の一部分がくっついて生まれるシャム双生児がいる。

韓国と日本の歴史認識についての観点に向き合うとき、まるで背骨を共有するシャム双生児のようだと思えてくる。一つの背骨を軸に互いの背中がつながって生まれるシャム双生児は、同じ方向を並んで見ることができない。東を向いている兄は一生日が昇るところばかりを見続け、西側を向いている弟はいつも日没だけを見ることになるというわけだ。体の一部分を共有しているにもかかわらず。

まさに韓国と日本がそうだ。地理的にも接近しており、歴史の多くの部分を共有してはいるが、その歴史的事実を見る見方は異なっている。一方は、進出しただけだと言うが、もう片方は、侵略を受けたのだ。一方は、妓生たちが金をもうけるために、自ら進んで慰安婦になったとのだと言い、もう片方は全国至る所の少女たちを手当たり次第に連れ去っていったと証言する。同じ事実をめぐってなぜこのように視角が異なるのかと言えば、各々が置かれた立場と、互いに受けてきた歴史教育が違うからである。

世論調査によれば、日本の若者の韓国に対する関心の有る無しははまちまちだが、他の外国に対する興味以上ではないという。しかし、韓国の日本に対する視線は、他の国を見る見方とは確実に異なる。サッカ−の試合で他の国に負けた場合は、“体力の劣勢”とか“技術未熟”などさまざまな原因をあげつらうが、日本とのゲ−ムで負けた場合にスポ−ツ新聞の一面を飾る太い見出しは、“精神力緩む”。なにがあっても日本にだけは負けてはならないというあまりに無理のあるこの主張には、韓国人の私でもあきれる。しかし、やはり韓国人であるがゆえに、なぜこのような意識がつくられたのかは十分に理解することができる。

日本には韓国に関係のある国民の祝日はない。しかし、韓国には日本と関連する国民の祝日が3・1節と光復節の2日ある。3・1節は1919年3月1日に起こった、朝鮮独立運動を記念する日(日本の教科書には暴動で表現されている)であり、光復節は35年間の日本の圧制からようやく抜け出し、国家の独立を取り戻した日だ。国民の祝日には、各マスメディアがその祝日の趣旨に合う特集を準備する。暦に赤い文字で表示されている国民の祝日。かなり朝寝坊して起きて、新聞をざっと目を通してTVをつけ、一度はその日の特集番組を見ることになる。それゆえに韓国では、特別な関心と興味を持ってなくても、他で勉強をしなくても、日本と関係する歴史を知るようになるのだ。また、どの家でも1,2世代をさかのぼってみると、日帝時代を経験した人が存在し、独立闘士の身内でなくても抗日に対する話をひとつずつ持っている。

身近で簡単な例で、私の身内を見てみよう。私の家は、典型的都市小市民家族だ。朝鮮の独立を寝てもさめても願った独立運動家でもなければ、日本帝国主義にへつらって巨額な取り分をかすめ取った親日派でもない、平凡な家庭だ。だが“その他大勢”に属する家庭である私たちの家にも韓日の歴史はある。小学校に通っていた父は、朝鮮語を使うなという学校の指示を破っていつも韓国語を使っていたそのために、教室で授業を受けた時間より教務室でバケツ(当時まさに日本語で“バケツ”と呼ばされたそれ!)を持って、罰で立たたされた時間のほうがもっと長かった。父は、3・1節や光復節のたびにこの事件を語ってくれて、私もやはりいつか子どもが生まれたら、祖父のこの話をしてあげるだろう。だが一方、小学校の生徒だった私の父に罰を与えたその日本人の先生も、子どもたちに自らの経験談を話してあげるのだろうか。私が朝鮮で先生をしていたときは、朝鮮語を使う出来の悪い学生を捕まえて、一日中重いバケツを持つ罰を与えたものさと話してあげるのだろうか。敗戦により日本に帰るとき、高価な物などを置いて裸で抜け出し出てきたのが口惜しいとか、恩知らずな朝鮮人たちは施してやった教育の恩も忘れているなどと怒りを露わにすることはあれど、朝鮮語を使ったという廉(かど)で幼い学生を罰したという話は、恐らく口外しなかっただろう。この個人的な関係を国家レベルに拡大すると、なぜ韓国と日本の立場が、それほどまでに異なっているのかを知ることができる。韓国は、父が私に経験談を話してくれたように、日本が犯したことを世の中に明らかにする。しかし日本は、あの日本人教師のように、罰を与えた話は隠したまま、“朝鮮に施した恩恵”だけを強調する。だから、同じ歴史を目の前にしても、二つの国の立場は異ならざるをえない。まるでひとつの背骨を持ちながら互いに背を背けている、シャム双生児のように。

2.歴史認識の大転換と文化を正しく知ること

ならば、この双子が互いに同じ方向を見るためには、どのような措置が必要か。答えは一つ、手術だ。危険で難しいと思うが、手術を通じてのみ二つの国は同じ方向を見ることができる。韓国と日本、どちらとも歴史認識の転換が必要なのだ。日本が過去の侵略と支配の歴史を正しく知ろうとするのであれば、なぜ日本の地にこれほどたくさんの在日韓国人が生活しているのか、なぜ韓国が戦後補償を挙論するのかが理解できるだろう。そして、韓国も韓国の歴史と関連して日本を理解する偏狭な視角から抜け出し、世界構造の中で日本の歴史を把握する能力を養っていかなければならないだろう。歴史の記述とは今日のためではなく明日のために必要なのであり、また、間違った歴史を繰り返さないためのものでもある。それゆえに、正しい歴史を知ることは非常に重要だ。

そして歴史を正しく知ることと共に、文化に対する理解も進めなければならないと思う。韓国と日本の二国間では、相手国の文化に対する本が多く出されている。だが、韓国で出版される日本に対する本の大部分は“極日論”的立場で、日本で発刊される韓国に関する本は“嫌韓論”が主流をなしている。そしてこのような立場から抜け出しているとしても、相手国の実状についてありのままに伝えてくれる本を探すのに苦労する。先日、日本人が書いた“逆説の日本史”という本を読んでいて、あきれ返るような話を発見した。著者は、韓国では未婚の男女は出会うとまず各自の姓を尋ね、もしも姓が同じであれば振り向くこともなく別れると書いていた。確かに韓国には同姓同本の婚姻禁止があった。しかしこの法は今は廃止され、それ以前であっても同姓同本同士で結婚する例も多く、このような夫婦のために別途の救済期間(法的で婚姻申告をすることができなかった同本夫婦が婚姻申告を済ますことのできる期間)がもうけられていた。このように実状とかけ離れた記述をする本は、果たしてこの一冊だけだろうか。反対に、韓国で発刊された日本関係書にも、日本人が読んだとき首をかしげる部分がかなり多くあるだろうと思われる。出版社は興味誘発のために“日本にはない”“醜い韓国人”等、刺激的なタイトルをつけた本を出し、大衆は本に書かれるままに相手国を理解する。激しい韓国人、本音を言わない日本人、とまぁこんな具合に。

韓国と日本が互いに理解し協力しながら、共に繁栄する道を探すために、歴史を正しく知ることと共に、文化に対する理解が必ず必要だと思う。双方の文化に対し誤解をなくそうと思うのなら、マスメディアが作り出す相手国のイメージをそのまま無批判に受け入れるような姿勢を捨てなければならない。そしてここでもう一歩進んで、双方で発刊された韓国、日本関係の書籍をお互いに交換して読み、誤って叙述している点を正し、その結果を両国の市民団体の機関紙やメディアを通じて発表する方法を提案する。このように誤解を一つ一つ取り払っていけば、いずれ確実に双方を正しく理解できる日がくるだろうと信じている。

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