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日本側発題文

在日外国人−その形成と現状

岸 正行(首都圏日韓連・一橋大学)

1. はじめに

現在、日本に居住する外国人、すなわち「在日外国人」の数はおよそ170万人にのぼる。日本を訪れる外国人が425万人に届こうとしているなか、日本で暮らす外国人は確実に増えている。と同時に、彼彼女らとどうやってともに生きるのかという課題が、様々な方向で論じられている。

しかしこのことは、昨日今日始まったばかりの議論ではない。最も大きい層を占める在日外国人の問題…60万人の在日コリアンの問題が、日本では侵略と植民地支配の問題、抜き差しならないアジア蔑視の問題としてもずっと存在してきたし、それを真摯に考え、問題を解決していこうという動きがあった。そして80年代以降、新たに日本にやってきた外国人…留学生や外国人労働者、難民、そして「不法滞在」「不法就労」する外国人およそ29万人…の「問題」が日本社会に根を下ろし、社会の新たな層をつくり始めていることを、もはや無視することはできない。

それゆえ現在、「在日外国人」問題は非常に多岐に渡るわけだが、ここではそれを整理するために、とくに「外国人と労働」という観点から在日外国人の現状と彼彼女らの抱える問題について考えていきたい。

2. 在日外国人とは誰か−6つのモデル

 

先に述べたように、在日外国人は、侵略と植民地支配という歴史的背景から定住もしくは永住する人びとと、難民や留学生、そして外国人労働者など、80年代以降に入国し定住し始めた人びとの二つに大別することができるが、より詳しく見るために、以下のモデルを使ってみよう。在日外国人を主に労働という観点からみると、次の6つの形態に分けることができる。

▼在日外国人の6つのモデル
(1)就労資格をもつ人々:10万人 外国人労働者:
  61万人+α (労働人口の1%)


うち(2)・(3)・(4)(一部)は狭義の外国人労働者(未熟練労働者)
(2)就労資格はあるが未熟練労働に従事する人々
・日系人定住者など:20万人
・「技能研修生」:6500人
(3)非合法な形で未熟練労働に従事する人たち(超過滞在者):
28〜29万人
+α(資格外の就労など)
(4)留学/就学生:9万人
  アルバイト:3万人
(基本的に就労不可)
在日外国人の総数:170万人(日本の人口の1.4%)
外国人登録者総数:141万5000人
超過滞在者(未登録):28〜29万人

※労働者以外の在日外国人が、全体の半数以上を占めている。
※(1)〜(5):来日外国人(new comer)
…80年代以降日本に来る。

 (6)在日コリアン(old comer)
…植民地支配以来日本に居住する。
(5)定住者 総数:50万人近く
「定住者」・「日本人の配偶者等」
中南米日系人:27万人
他、中国残留日本人など
永住者 総数:62万人
在日コリアン:55万人
(日本籍のぞく)

(1)労働の資格をもつ外国人

第1のグループは、労働の資格をもつ外国人で、現在約9万人いる。後述するように、日本を訪れる外国人はすべて「在留資格」という滞在中の日本での活動の範囲と滞在期間を定めた資格(ビザ)によって、これに加えて90日以上滞在する外国人は、役所での「外国人登録」を経て渡される「外国人登録証」(携帯義務あり)によってそれぞれ管理されるわけだが、このグループは日本での就労を認められた人たちである。その業種は「外交」や「教授」などの公的な仕事から「投資経営」「医療」「技術」など様々に存在するが、最も多いのは芸能や風俗に関わる「興業」で、全体の3割弱を占める。この興業で最も多いのは、東南アジア出身、分けても女性−80年代の言葉を借りれば「ジャパゆきさん」である。彼女たちの待遇、地位は決して安定したものではない。就労資格があるからといって、社会的地位が相対的に安定するわけではないのである。

(2)労働の資格はあるが、未熟練労働に従事する外国人

第2のグループは、就労の資格はあるが、その職種が未熟練労働、いわゆる「単純労働」に限られる人たちである。このグループの中心をなすのは日系人「定住者」である。日本が本格的に外国人労働者の受け入れ方針を転換するなかで、中南米日系人の子孫は滞在中の活動に制限のない「定住者」「日本人の配偶者等」の定住資格を認められた。これにより90年代、日系人の子孫が大量に日本へやってくることになり、不足していた未熟練労働力の部分を補うこととなった。このグループの多くは単身、もしくは家族連れでの出稼ぎが中心だが、字義どおり定住の資格もあるため日本社会に定着する人たちも増えている。中国残留日本人の子孫もこのグループに属する。

またこのグループに属するもうひとつの層が、日系人への「定住者」の資格の創設に続いて行政がつくった「技能研修生」という制度で就労する人たちである。これは「教育・研修」の在留資格とあわせて3年の範囲で認められるもので、「日本の高度な技術を習得し、発展途上国の産業に生かす人材育成や技術移転」を目的に、当初は技能研修生として、その後技術検定を経て「特定活動」の資格をもつ労働者として継続的に就労させるというものである。日本側からすれば、「研修」の名目での労働力確保、日本企業の進出に際しての現地受け入れ能力向上など利点が大きいが、研修生の側からすれば家族呼び寄せができない、あくまでも「実習生」であって労働者ではないためのハンディなど、不利な点が多い。

(3)非合法な形で労働に従事する外国人

第3のグループは、非合法な形で未熟練労働に従事する人たちであり、これまで挙げた3つのグループの中では最も数が多い (約28万人と見られる)。このグループを形成する人たちは、さらにいくつかのタイプに分けられる。(1)就労を認められていない資格にもかかわらず就労する場合。これは、「留学」「就学」の資格で入国した人たちが生活苦などの理由でやむを得ず、もしくは当初からそれを目的にして就労するもの。(2)就労資格がない上、在留期間後も日本に留まり就労する場合。これがこのグループの中心にあるが、典型的な例としては、「観光」の目的で入国し、その後そのまま就労するというのがある。(3)密航などの手段で不法入国し、そのまま就労する場合。統計の上には全く出てこない層であるため、実態の把握は非常に困難である。いずれにせよ、第3グループに属する人たちは非常に不安定な立場に追いやられている。「不法性」が発覚したら即拘束−強制送還という恐怖を常に抱えていることが最大の原因である。その恐怖のために外国人側から人権侵害に対する異議申し立てを行うことは難しく、また企業などが地位の不安定性を利用して劣悪な労働環境に従事させるケースが多く、在日外国人の中では最も厳しい立場に置かれていると言える。

以上の第1〜第3グループ、そして第4グループの一定部分が広義の「外国人労働者」を構成し、その数は61万人(日本の労働人口の1%)に上る。そして第2、第3グループと第4グループの一定部分が、この発題で扱うような狭義の「外国人労働者」だといえる。

(4)留学生・就学生

第4のグループは、「留学・就学」の資格を得て、日本にある各種の教育機関で学ぶ人たちである。1983年の政府「留学生受け入れ10万人計画」実施以降、特に東アジア地域、分けても中国からの留学生が急増した。

日本政府は「留学・就学」の在留資格を持つ外国人に就労の資格を認めていない(時間を限定したアルバイトしか認めていない)。しかし、留学生のほとんどは私費で日本にやってきており、かつ出身国と日本の間で経済格差が大きい。それゆえに、先ほど述べたような資格外の労働をせざるを得ない人たちが現れることになる。

(5)(6)定住・永住する外国人

第5のグループは、ある程度日本の中で自由な就労、経済活動が可能な層で、先に述べた「定住者」の資格を得た日系人のほか、様々な出身地からなる日本人の配偶者やその子どもも「日本人の配偶者等」の資格により定住が可能である。また第6のグループは「永住」の資格をもったいわゆる永住者、在日コリアン、在日中国人(台湾出身者)などの「特別永住者」がこれにあたる。この層は、長期の定住、又は実質的な永住をしているため他の外国人労働者とはその位置が異なるが、それでも、経済活動のみならず日常生活の中で日本社会の差別は厳然として存在している。とりわけ在日コリアンなど旧植民地出身者に対する差別はその根幹に侵略と植民地支配の過去があり、そして、そのような差別の歴史がそのまま現在の外国人政策に反映されていることは、外国人差別の問題の基本的問題として今なお追及されるべき問題としてある。

3. 外国人政策の源流(その1)−在日コリアンの形成

先に述べたように在日外国人問題の今もなお残る「源流」として、在日コリアンをめぐる問題が存在する。在日コリアンと来日外国人…old comer、newcomerという言い方もできるが…を分ける最大の要因は、在日コリアンは日本の侵略と植民地支配によって形成されたものであること、つまり来日外国人が現実の経済、社会的要因から日本にやってくるのに対して在日コリアンの存在は過去の歴史に起因するということである。

1875年以降始まる日本の朝鮮侵略、そして1910年の日韓併合…植民地支配によって生活の基盤を日本に奪われた朝鮮人は、生活の糧を求めて日本へと向かい定住した。1930年以降は、国内労働力不足を補うために政府自らの手で朝鮮、中国で労働者の強制連行が行われ、敗戦直前までに日本には200万人近い朝鮮人が居住することになった。

日本の敗戦−朝鮮の解放後、朝鮮人は次々と我が家への船路につき、1946年1月までにおよそ150万人の朝鮮人が朝鮮半島へ帰っていった。しかし、植民地支配は彼らの帰るべき家も、土地も、家族も引き離していた。日本政府の無策に加えて、生活基盤が既に日本に移っていたために帰国せず留まった人も多く存在した。また分断された朝鮮半島での生活の厳しさの前に再び日本へ戻る人たちも現れ、最終的に60万人の朝鮮人が日本に留まることになった。

占領下、解放民族だった朝鮮人ら旧植民地出身者に対するGHQ、日本政府の対応は、一言で言えば戦前と全く変わらないもの…「日本人への完全な同化」と「外国人として排除」とが同居するダブルスタンダードだった。つまり義務は日本人と同じく課しながら、一方で権利は「外国人」であるから認めないのである(その端的な例に、参政権の剥奪や民族教育の弾圧がある)。

1947年5月2日、最後の「勅令」(天皇の命令)として「外国人登録令」が、そして1951年11月には「出入国管理令」が施行される。外国人を治安管理の対象と見なし、日本政府の恣意で外国人の居住を管理するこれらの法律は当時の外国人のほとんどを占めた在日コリアンの排除を主眼に置いたものであり、日本の「独立」以降も変わることなく外国人政策の柱として残っていったことは、今に至るまで日本の外国人政策がどのような思想を持ってなされているかを端的に表わしている。

そして1952年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約により「自由主義陣営」の一員として「独立」する。この瞬間、日本に在住する旧植民地出身者の一切は「国籍を離脱した者」−つまり「外国人」と見なされたのだった。これ以降、在日コリアンは「いやなら帰化するか、朝鮮に帰れ」という同化と排除の圧力をもろに受けることになる。在日コリアン自身の運動は徐々に状況を改善してきたものの、根本的には在日コリアンは「日本国民でない」ことを理由に政治、経済、社会そして文化など日常生活の中で差別を受け続けている。

4. 外国人政策の源流(その2)−難民が迫った「開国」

それまで外国人の受け入れに消極的だった日本がその施行の転換を迫られることになった直接的契機は、1970年代末のベトナム戦争によって生まれたインドシナ難民の受け入れ問題だった。1975年5月、ベトナムからの難民が日本に始めて訪れたが、当初日本は第三国への出国までの間の「一時滞在」を認めるに過ぎなかった。60年代までは労働力輸出国であり、敗戦後は一種の「鎖国」…在日コリアンの存在はつねに忘却のうちにあった…であった日本がとったこの措置は国際社会で厳しい批判にさらされることになった。同年始まったサミット参加国の中で難民受け入れを拒絶していたのは日本だけだったのである。更にこの時期は、在日コリアンに対する「国籍」を理由にする差別、特に就職差別の問題が欧米のメディアで問題となっていた。こうした批判を前に日本はその政策を改めざるを得なくなり、最終的には1979年9月の国際人権規約に加盟、1981年10月の難民条約を批准し、難民の「定住」資格を認めたのだった。そしてこれが呼び水になり、社会保障に関する種々の「国籍条項」が撤廃されることになったのである。

しかし、政府が国籍条項を見直した背景にあるのは基本的に「外圧」であり、ちょうどこの頃はじまった、日本社会での内発的な運動(この頃はじまった、在日コリアンと日本人との地域レベルの運動など)を受けての主体的な変革ではなかったことが問題として残る。現実の日本の難民受け入れ行政が外国人労働者への治安管理行政と大差なく、難民条約への違反もしばしば見受けらることは、制度は変わっても中身の変わらない日本政府の問題点を示している。

5. 外国人労働者の受け入れの経緯と思想

外国人労働者の「輸入国」ではなくむしろ輸出国だった(1960年代まで)日本で、政府も含め実際に外国人労働者の受け入れが議論され始めたのは、1980年代半ばのことだった。85年のG5(先進5カ国)蔵相会議でかわされた「プラザ合意」により日本では急速に円高が進み、これにより日本は俗に「バブル景気」と呼ばれる好況に入った。そのため労働力不足という状況が生まれ、とりわけ未熟練労働の分野での労働力不足は深刻な状態になった。労働力不足の原因は主として日本の少子高齢化による労働力の現実的不足、また高学歴化により未熟練労働が敬遠され始めたことがある。こうした状況のなか、仕事を求める外国人労働者は、日本の企業にとっては安価な労働力として期待されたのだった。

しかし日本政府の方針はこれと全く逆の方針だったのである。外国人労働者問題に対する政府の公式的コメントである雇用対策基本計画では「専門的、技術的分野の労働者を可能な限り受け入れ」るが、未熟練労働の分野での外国人労働者受け入れについては、日本人高年齢者の雇用の圧迫、失業の問題、新たな社会的コスト負担増などが日本の「経済社会に広範な影響が懸念される」ため慎重に対応する(第8次計画、1998年)という姿勢を打ち出している。しかし現実には外国人労働者が求められるのはまさにその未熟練労働の分野であり、ここに政府の立場と日本社会との現実のあいだにギャップが生じるのであるが、日本の外国人労働者の受け入れは、まさにそのギャップをうまく突いた形で行われた。つまり、あえてイリーガル状態のままに外国人労働者を受け入れることによって、外国人労働者を社会的コストのかからない「使い捨て労働力」…いらなくなったらイリーガルであることを理由に追い出す−として利用するというものだったのである。

そして、90年の入管法改定は、そうした外国人労働者の受け入れの方針を法律として確定したものだった。超過滞在者、資格外就労者については雇用者への処罰も含めた取締りを強化しながら、実際には「定住者」という合法的な未熟練労働者を大量に受け入れる−このとき、日系人を受け入れる背景に「日本人の血を共有している」ことがあったことは重大なポイントである−方針をとってバランスをとるというやり方であり、93年の「技能研修生」導入も同様の考え方の下に行われた政策だった。

こうして日本にやってきた外国人労働者は、93年頃、日本が不況に入ると激しい排除の波にさらされることになる。超過滞在外国人の一斉取締りが各地で行われ、入管法は97年、99年と超過滞在者への罰則強化の方向で改定されている。しかし現実には外国人労働者の総数も超過滞在者もそれぞれ61万人、28万人のラインを維持していることから分かるように、外国人労働者は日本社会の労働力の確たる位置を占めている。そして彼彼女らのなかで、日本社会への定着を志向する人たちも表れている。外国人労働者が、実際に私たちの隣人となってきたのだ。

6. 在日外国人の実態

前章までは外国人労働者受け入れの思想的背景を中心に追っていったが、在日外国人は実際、どのような問題を抱えているのだろうか? 以下に彼彼女らが日常的に抱える問題を列挙していく。

(1)外国人政策の基本システム−在留資格と外国人登録

在留資格外国人登録
  • 行政が認定する、期間と活動制限による外国人の管理
  • 資格外活動、超過滞在に対する取締り
  • 90日以上滞在する外国人全てに義務付けられる
  • 外国人登録証−常時携帯と提示の義務…違反は行政罰
  • 指紋押捺−現在は全廃。代りにサイン・家族構成の記入
※一方、海外のほとんどの国において、外国人の身分はパスポートとによってのみ保証される。刑事罰も含めた管理システムは異例。

(2)国外退去強制−出入国管理局(入管)

「不法入国、不法滞在、不法就労」、「反社会的行為」(刑事犯、売春など)を起こす外国人に対して行政がとる措置が、「国外退去強制」(強制退去)である。


入国警備官による違反調査、摘発→任意調査と強制捜査 入国審査官による審査 異議申し立て ●在留特別許可(法務大臣) のどちらか
●収容所−強制退去

退去強制手続きの事務は一貫して出入国管理局(入管)の手でなされる。警察にあたる入国警備官が「調査・摘発」、すなわち逮捕・拘束し、検察(判事)にあたる入国審査官が退去強制にあたるかどうかの審査を行う。審査でクロとなれば基本的には退去強制令が執行され、即刻退去するか収容所送致となる。審査に対しては、入管に対する異議申し立てと法務大臣に対する異議申し立てがあるが、その双方とも形骸化している。

そもそも退去強制の理由自体が非常に恣意的に扱われ得る内容である。そして彼彼女ら自身の個人的背景を全く無視したきわめて暴力的、差別的な摘発、審査がなされ、その他にも後述するように、摘発、審査の過程で使われる言語が基本的に日本語しかないという言語の問題がある。

(2)言語

基本的には日本では、公的な情報を伝える言語は日本語のみしかない。文書では多言語を用いる場合もあるが、より多くの人間が見る映像/音声メディアでは、英語と日本語の併用がせいぜい。外国人を逮捕した場合の取調べや裁判などの際にも同様の問題がある。

(3)教育

多言語による教育、母国や民族性に配慮した教育は、公教育の中ではなかなかなされず、現場での自助努力にゆだねられるのが現状である。制度的に、日本がとりわけ非欧米系異民族の教育権を認めないのは、日本の朝鮮学校への差別的な対応を見ればすぐに分かる。

(4)結婚とこども

とりわけ問題になるのは、超過滞在者と日本人の結婚の場合である。日本の憲法によると、結婚について「両者の合意」と役所への婚姻届の提出で完了する。しかし、役所は超過滞在者だと分かると、外国人登録証がない、もしくは無効であることを理由に届出を不受理にする。その場合、超過滞在者の側は一旦日本を出て行くか、もしくは法務大臣に「日本人の配偶者」としての在留資格を特別許可してもらうよう申請するしかない。前者の場合は1年間日本への再入国ができず、その後入国できる保証がない。後者の場合は、許可するかどうかは法務大臣の恣意に任されるという問題がある。

さらに、パートナーたる日本人と何らかの理由で離別した場合の、在日外国人とその子どもの在留資格の問題がある。これまでは、日本人と離別した時点で「日本人の配偶者等」という定住の資格を失ってしまうことになったが、96年からは、日本の親に認知され、外国人の親が親権者であり、子供を養育/監視できている場合には「定住者」として在留資格を認める措置が出された。しかし、日本人の親(この場合、圧倒的に父親が多いが)が失踪したり子供を認知しない場合などは定住資格は認められず、この問題は日本人の側の対応によるところが大きい。

(5)労働環境

国際人権規約、また日本の裁判所の判例では、基本的人権は誰にでも認められる権利として定められている。当然労働者の権利もそうであって、労働省も、労働に関する権利は日本人、外国人の区別なく認めるべきという方針を出している。しかし最も数の多い外国人労働者、すなわち未熟練労働者の人権を、行政は全く認めていない。彼彼女らを雇う企業の側も、行政の姿勢を悪用して更なる人権侵害を行っている。ここでは未熟練労働者の状況について、2つの例をあげておく。

  1. 賃金…平均すると、同一内容の仕事をしても外国人は7割近くの給与しかもらえない。さらには仕事を斡旋する業者の多くは暴力団が絡んでおり、その場合業者の取り分が何分の一か引かれた上で渡される。そもそも雇用主との契約も口約束で済まされる場合が多く、時間外手当や退職金、さらには給与の支払いすら行われないことが多い。しかし外国人の側は、自らの不安定な立場(超過滞在などのため、行政に見つかれば即刻強制退去となってしまう)から反対の声をあげにくいのである。
  2. 労働災害に対する補償…外国人労働者に対する労働災害への補償は法律で定まっているが、これと同時に「入管法違反に当たると思われる事柄がある場合、出入国管理機関に情報を提供すること」という条項が存在している。(これについては、改正されたのかどうかまだ確認が取れていません)そのため外国人労働者は行政に労災補償の手続きを躊躇してしまう。また、超過滞在、資格外の労働者の存在が明るみに出れば自らも処罰される雇用主が、事故を隠したり脅迫したりして外国人労働者に泣き寝入りを強いる場合も多い。

(6)社会保障における差別的待遇

病院の治療費を行政が保証するシステムである「国民健康保険」は、外国人登録を行ない且つ一年以上滞在する者もしくはその見込みのある者以外には適用されない。つまり、超過滞在者は一年以上いても健康保険制度が適用されず、莫大な治療費を払わされてしまう。さらに、経済困窮者を支えるシステムたる生活保護法によって、経済的に苦しい人たちには「緊急医療扶助」がなされるのだが、これについても、1990年、外国人労働者の流入に対して厚生省が「いわゆる非定住外国人(来日外国人)には生活保護を認めない」よう各都道府県に求めている。したがって、生死に直結する問題を解決するのは各自治体の自助努力のみというのが現状である。

(7)犯罪

「外国人が増えると犯罪が増加する」「外国人が凶悪犯罪を起こす」さらには「騒乱をおこしかねない」とよく言われるが、日本の総人口に対する犯罪者の比率と在日外国人のなかでの外国人犯罪者の比率に大きな差はない。また、外国人の犯罪のほとんどは「外登法違反」「入管法違反」である。つまり、「外国人犯罪」を産み出すのは、日本の差別的、排外的な外国人政策それ自体である。

(8)まとめ…普遍的人権の無視

これら(1)〜(7)の状況は、日本が自ら加盟、批准した国際人権規約や難民条約、子どもの権利条約、人種差別撤廃条約などに違反する。しかし国際的な批判を前にしても、日本政府は状況を変えようとしない。一言でいえば、日本の外国人政策の最大の問題は、外国人を社会の一員として認めないことだ。

7. 在日外国人問題の根源は何か?

これだけ多くの問題をはらみ、またそれが国際社会で次々批判されながら、日本政府がなお現行の外国人政策を維持し続けるのは、何も政府の強固な意志によるだけではない。それを支える日本社会の意識が存在し互いに相互補完することで、日本は外国人差別を制度化し維持し続けているのである。では、日本人のどんな意識が外国人政策に反映されるのだろうか。答えは、石原都知事の「三国人」発言に端的に現れる。

彼の発言が示すものは3つあると言える。


  1. かつての侵略と植民地支配の中で培われたアジア差別の精神が今なお息づいているということ、つまり根本の歴史認識が欠如していること。
  2. 「外国人だから犯罪を犯す」「外国人は害悪だ」という独断、ある種のゼノフォビズム(外国人ぎらい)が彼の思考の基盤にあること。
  3. 日本人も容易にそうした立場になり得るということが全く考えられない、ある種のナショナリズムの存在。

石原の発言が日本で広範な層に支持され共感されるということは、こうした思考が石原のみならず日本人の多くに共有されるものであることを意味する。その背景にあるのは、「日本人=日本国民であり、そして国民でない人間=外国人はその存在も市民権も認めない」という、民族−国籍−国民(政治権利、市民的権利)を一体視する自民族至上主義、自国民中心主義の発想がある。またなぜこれだけ外国人が日本に存在するのか、その歴史的・政治的・経済的・社会的背景に対する認識のなさも大きく関係している。だからこそ、日本社会では商品としての「国際化」を消費することはあっても、人と人との「国際化」が果たされないままなのである。

世界史は、様々な人と文化が流動し交流することなしに私たちの生きる社会の成立はありえなかったことを示している。そして、これほど高度に情報化が進んだ現代にあっては、ますますこの意味が重要さを増してくる。ところが、私たちの現実が、様々な人が「共存」・「共生」できる社会に程遠いことは、上で述べたことだけを見ても理解できるだろう。

しかし、そうした状況を変える試みは、ささやかだが確実に動きつつある。日本各地にある、日本人と在日コリアン、日本人と外国人の共同の取り組みの数々は、私たちの追求する「共生」の、現在進行形に他ならない。そして、私たち日本・在日・韓国の青年学生によるこの取り組みも、「共生」の実現に向かって大きな力になることを私は信じている。様々な日本の取り組み、そして歴史、平和、人権と幅広い分野で活動できる私たちのフォーラム、WGでの取り組みを共有し社会に発信していくことが、その第一歩となるのではないだろうか。「過去を知ること」と「現在と出会うこと」、それが始まりである。

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