在日コリアンワークグループ
趣旨
1.在日コリアンの存在を知ること・伝えること
現在日本には、韓国・朝鮮籍を持つ人が約65万人住んでおり、両親や祖父母が朝鮮半島出身者である日本籍の人も含めると100万人を越えます。すなわち日本の人口に対して約1パーセントにあたる人数が朝鮮半島にルーツを持っています。
それほど「多い」にもかかわらず、日本人にも韓国人にも在日コリアンの存在はあまり知られていません。また在日コリアンの中でも、「自分達の存在について知ってほしい」という思いは非常に強いのですが、在日コリアン自身も他者が自分達について、どのように考えているのかを深く知る機会というのは、日常生活の中では限りがあります。
そこで私達在日コリアンワークグループは、まずこの在日コリアンと他者との間に横たわる、認識の溝を埋めるための作業が必要であると考えています。2日間のワークグループを通じて、私たちは在日コリアンをテーマに多くのことを学んでいきたいと考えます。
2.在日コリアンをめぐる社会的状況を学ぶこと
在日コリアンはよく「政治的存在」だと言われています。これまで在日コリアンが抱えてきた問題は、日本と朝鮮半島の政治的状況や関係が在日コリアン社会に大きく反映し、そして在日コリアン内部の問題として強く写し出しだされてきました。したがって、在日コリアンについて知ることは、日本と朝鮮半島の歴史的関係を客観的によりよく知る上で大きな材料となるでしょう。
また、在日コリアンが50数年間日本社会に定住しているにもかかわらず、ごく最近まで日本は「単一民族」社会であるという認識が一般化されていて、日本社会に存在しないものとされてきました。このような認められなかった存在に焦点を当て、そこから日本と朝鮮半島を見ることによって、今後のよりよい関係を構築できる重要な存在であると思います。
今回は在日コリアンをめぐる状況を、現場に立つ関係者の話から学び(フィールドワーク)、それを題材に徹底的に議論しあうことを目指します。
3.自治体の外国人施策を学ぶこと
現在「グローバリゼーション」という言葉をよく耳にします。経済や文化の分野では国境の壁が低くなり、モノや資本、人の国境を越えた移動が増え、それに伴い日本にも多くの外国人が定住するようになりました。しかし政治・行政の分野での国境(国籍)の壁は依然高く、定住者・住民としての政治参加についてはまだまだ多くの議論が交わされています。
在日外国人をともに生きる「隣人」として受け入れられるか、それには歴史的背景は違えど在日コリアンへの政策として、どのような施策が行われてきたのか、それらを踏まえ外国人政策として今後の日本の国や自治体の在り方が大きく問われてきます。そして特に就労や教育、福祉など外国人の生活には自治体の施策が深く関わっています。
そこで今回は、在日コリアンの居住者数が多く、また外国人施策においては先進自治体と言われている神奈川県川崎市を訪れます。川崎市は、外国人が全人口の2%を占め、そのうち、韓国・朝鮮籍者は全外国人の45%を占めています(1997年)。川崎市はこれまで、独自の外国人施策を行ってきました。86年、公立学校に在籍する外国人児童生徒の教育方針を定め、88年には全国で初の在日コリアンと日本人の交流施設“ふれあい館”を建設しました。そして最近では、96年に外国人市民の市政参加を推進するために、外国人市民が構成員となる「外国人市民代表者会議」が設置されました。こうした川崎市の歴史と現状について学び、グローバリゼーションや外国人住民と共生ができる社会に関して考えてみたいと思います。
4.在日コリアンの子どもたちへの民族教育を知ること
『どうすれば自分の子供が自らの出自に自信を持てるのか』。在日コリアンの親が抱える共通の悩みです。日本で生まれ育った在日コリアンのほとんどは日本語で生活し、また日本名を使用しています。決して少なくない在日コリアンが日本社会の中で「見えない存在」となっており、さまざまな差別や偏見にぶつかります。そうした状況の中で、在日コリアンの子ども達が自分に自信を持ちのびのびと生きていくためには、自らのアイデンティティを育む過程が不可欠です。したがって在日コリアンの人権を考える上で、教育の問題は非常に重要です。
民族教育の取り組みには、民族学校、「民族学級」をはじめとした日本の公立学校で行われている教育活動、地域の子ども達を対象にした地域活動などがあります。現在、韓国・朝鮮の民族学校は、100校以上あります。歴史を見ても、1947年の阪神教育闘争や1970年前後の外国人学校法案反対運動など民族学校を守る運動が常にありました。また70年代以降、日本の公立学校に通う在日外国人生徒の教育の問題も注目されはじめ、その改善が図られてきました。そしていくつかの地域においては、地域に根ざした民族教育活動が行なわれてきました。
そこで今回は、現在子どもの教育を抱える在日コリアンの保護者の方と、地域の中で民族教育に取り組んでこられた方から、民族教育の歴史と現状について、現場の視点から講演をしていただきます。この教育という課題を通じて、在日コリアンの親・子どもが今抱えている思いや問題意識に触れたいと思います。
当日スケジュール
川崎市の在日コリアンの歴史
1910代 |
京浜工業地帯の創世期に工場建設の労働に従事 |
1923 |
関東大震災 川崎でも朝鮮人虐殺事件多発 |
1930代 |
川崎に朝鮮人の集住地域形成 |
1939 |
朝鮮人強制連行開始 |
1945 |
敗戦・解放
戦前の集住地域を受け継ぐ形で、桜本・池上町・浜町などの朝鮮人集住地域形成 |
1952 |
サンフランシスコ講和条約発効 |
1965 |
日韓基本条約締結 |
1970 |
朴鍾碩氏、日立製作所就職差別を提訴 |
1974 |
社会福祉法人『青丘社』の誕生 |
1978 |
日本、国際人権規約批准 |
1980 |
韓宗碩氏、指紋押捺拒否
→指紋押捺拒否運動の隆興 |
1985 |
川崎市長(当時)、指紋押捺拒否者不告発宣言 |
1986 |
川崎市在日外国人教育基本方針策定 |
1988 |
川崎市ふれあい館設置 |
1990 |
日韓法的地位協定に基づく協議の結果に関する覚書 |
1996 |
川崎市一般事務職職員採用試験の国籍条項を撤廃
外国人市民代表者会議設置
川崎市-富川市友好都市提携 |
1998 |
川崎市在日外国人教育基本方針改定
在日コリアン一世の交流親睦会『トラヂの会』発足 |
講師紹介
梁澄子(やん・ちんじゃ)さん
1957年北海道生まれ、東京育ちの在日二世。
小・中・高校時代は、民族学校(朝鮮初・中・高級学校)に通う。明治大学卒業。
現在、通訳・翻訳・執筆家。「在日の慰安婦裁判を支える会」のメンバーでもある。
現在、二人の娘が朝鮮初級学校に通っている。
共著:「海を渡った朝鮮人海女」(新宿書房、1988年)
「朝鮮人女性が見た慰安婦問題」(三一書房、1992年)
呉崙柄(お・ゆんびょん)さん
1945年韓国済州島生まれ、20歳の時来日。現在宝石店業を営む。
1984年 「コブクソン子ども会」※を始める。
《コブクソン子ども会》
コブクソンとは、豊臣秀吉朝鮮侵攻(壬申倭乱)の時活躍した朝鮮の亀甲船のこと。
東京荒川区で、在日コリアンの子どもを集め、毎月曜日の夜に、民族や日朝交流の歴史理解、在日のこと、韓国語の習得、民族文化や音楽、舞踊の練習、それらを通じた仲間との交流を行なっている。