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大阪フィールドワーク コース3
大阪城・枚方フィールドワーク
―強制連行・労働の歴史を学ぶ

趣旨と概要

このフィールドワークでは、大阪砲兵工廠の中枢部であった大阪城、枚方市内、私市トンネルを見て回り、日本の侵略戦争の戦跡と建設工事に従事した日本人・朝鮮人の様子を見学します。それらを通じて、日本と朝鮮の近現代史を学びたいと思います。

コース案内は、「なにわ民衆史を歩く会」の研究員で、戦跡の保存活動に取り組む平井正治さんと、大阪府立山田高等学校教諭であり「ピースおおさか15年戦争研究会」の事務局長を務めておられる塚崎昌之先生に行っていただきます。

フィールドワーク内容

まず1583年に豊臣秀吉が朝鮮侵略を行うために建てた城を訪問します。この大阪城は1592年と1597年の2度にわたる朝鮮侵略(壬辰・丁酉倭亂)の拠点であり、また、明治以降は、日本の近代国家建設過程でのアジア最大の軍事基地(大阪砲兵工廠)として再び侵略の拠点とされました。砲兵工廠は日本の終戦直前の大阪空襲によって壊滅的な被害を受け、日本人・在日コリアンともに多数の被害者を出しました。空襲で壊滅した鉄の残骸は、解放後の日本で仕事から放り出された朝鮮人たちが回収して朝鮮戦争にも使われました。

現在も旧大阪砲兵工廠化学分析場や地下壕入口跡など多数の戦跡が残されています。

次に第二次大戦の戦跡が残る枚方市のトンネルを訪れます。 1894年の日朝戦争の勃発で、日本陸軍は軍備拡張の一環として禁野火薬庫の設置を決定し、1895年に起工されて1896年に禁野火薬庫が完成しました。1939年にはその禁野火薬庫で爆発事故が起こり、朝鮮人を含む死者94人、負傷者602人の被害が出ました。また、1937年の日中戦争の勃発以後、弾丸・信管を増産するために禁野火薬庫の東隣にある枚方町中宮、片鉾、甲斐田地区に枚方製造所が設置され、1938年に生産が開始されました。当時の建設には、朝鮮人土工が大量に投入され、夜を徹した突貫作業で土木工事が進められました。 現在は、禁野火薬庫と枚方製造所の跡地が残り、爆発事故の犠牲者の慰霊塔や「平和ロード」などの戦跡を見ることができます。

最後に、私市(きさいち)トンネルというところを訪れます。ここは、大阪陸軍造兵廠枚方製造所私市地下工場があった所です。 「本土決戦」用の爆弾を炸裂させるための装置を作る工場を作る予定で1945年春から建設が開始されましたが、建設工事は20%程度できあがったところで敗戦を迎えました。この建設工事に約100人の朝鮮人が従事し、トンネルの近くにそれらの人たちの死亡事故現場があります。ここを走る京阪交野線は、1923〜29年に建設されましたが、工事のほとんどは朝鮮人労働者が行いました。

タイムスケジュール

9:30大阪城フィールドワーク
12:00昼食
13:30枚方&私市フィールドワーク
18:00大阪城公園で交流会
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