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歴史認識・戦後補償問題ワークグループ

趣旨

「韓国人は日本人のおかげで,非道い思いをした」

「日本人はアメリカ人のおかげで非道い思いをした」

それは、どれも本当の事だ。しかし、歴史の大きな流れの中での加害者(日本人)、被害者(韓国人をはじめとするアジアの人々)、という認識もまた当然だ。ただ、私たちから見ると、日韓の民衆レベルでは、結局、自分の力では拮抗する事の出来ない、巨大な、国家と言う物に飲み込まれた被害者、アナクロな植民地の差別的な政策のせいで人生を台無しにされた被害者、に見え、共に被害者であった、と言えるかもしれなかった、お互いの接点が、時の国家の都合によって分断されていたのではないか。互いの立場を主張すればする程、離れていく日本人と韓国人。真摯に意見の違いを、共に私たち手で是正するような努力をしてきてはいたか?

確かに日本人の被害者感覚は、日本国家免罪の道具としてのみ利用されるばかりだった。 日韓のこれまでを、幾ばくか見てきて、私たちは、このように結論した。「国家は、自分の思いとは違う原理で動いている」と、私たちはもう、自分が寄りすがり、頼りにするものを、国家ではなく、自分の目の前で、実際に触れ合う人間の心の中に見出すべき時期にきているのではないだろうか?

ドイツ・ポーランド国境の高校ではポーランドの歴史の授業にドイツの生徒が入って両国の生徒は一緒に学び、議論する。(当然、逆の場合もある)まさに、「私達の歴史を創って行こう」という努力ではないか。 私たちは、その営みに賛同する。「国家」主導ではなく、私たち日韓の、「市民」主導で、お互いの顔が見える関係の中で、「私たちの歴史」を創って行きたい。 今回の企画の最終的な獲得目標としては、このワークグループを契機に日本人や韓国人が恒常的に学べる場を提示したい、そう、ドイツ・ポーランドの人々の様に。 互いが理解しあう為には衝突も在るだろう。ある意味で言えば、それでもいいのだ、「これから共に生きて行く」という、峻厳な覚悟をお互いが持っていれば、必ず、私たち日韓の市民は親友になれる。 その第一歩として、韓国青年・学生には、在日や日本人の事を少しでも知ってもらえたらなと思っている。

スケジュール

私たち<歴史認識・戦後補償グループ>では、第一には現在の日本における歴史の認識、第二にその歴史を生きてこられた方々のお話、そして第三に日本−在日−韓国の青年が今後どのように歴史についての対話が始められるか、という三点を中心にスケジュールを組みました。

8月6日(金)には、韓国、大阪からの参加者を迎え、午後1時から5時まで一回目の討論会を行います。各参加者の取り組みについての発言の後、東京の準備会、大阪の準備会、そして韓国の準備会からの今後の運動に関する提案について話し合います。東京の準備会では、ドイツ・ポーランド歴史教科書対話に習い、日本−在日−韓国の青年がそれぞれ受けてきた歴史教育および歴史教科書の検証を提案します。そして午後6時から9時まで在日韓国・朝鮮人戦争体験者の方々の歩みについて、また日本政府の対応について勉強会を開きます。その中で韓国・朝鮮人傷痍軍人・軍属に関するビデオ「忘れられた皇軍」(大島渚監督、1963年)を見ます。その後は、朝まで飲み会です。

8月7日(土)は、朝の10時から日本人および在日朝鮮・韓国人の当事者のお話を聞きます。お話しして下さるのは、元朝鮮人徴用工の趙緕さん、元韓国・朝鮮人BC級戦犯の金完根さん、および日本人戦災者一人の予定です。午後からは、東京都内にある現代史と関連の深い場所を訪れます。日本遺族会の本部がある九段会館、多くの戦後補償裁判が係争されている東京地方・高等裁判所、戦後補償を拒否し続けてきた厚生省、日本の「英霊」が祭ってある靖国神社などを韓国人参加者と共に見学します。午後6時30分から9時まで、第二回の討論会を開き、今後の運動についての議論を行います。その後の飲み会でも、日本−在日−韓国の未来について朝まで話し合います。

話し手のプロフィール

趙緕(チョウ・ヨンス)さん

1928年生まれ。東京在住。徴用され、日本に連行された。東京製鉄海軍管理工場で訓練期間中、44年9月、ギアにはさまれ、右腕の機能が完全に廃された状態になる。1959年に厚生省に対し、援護法の受給申請。1966年に厚生省は却下。1995年3月に再申請。同年12月、厚生省は再度却下。金完根(キム・ワングン)さん――1922年生まれ。東京在住。ジャワ俘虜収容所勤務。上官からの虐待に苦しみ、同僚の朝鮮人監視員は自殺している。46年イギリス裁判で懲役10年の判決を受ける。52年仮釈放。韓国・朝鮮人BC級戦犯の補償等請求裁判の原告。裁判は最高裁にて係争中。

フィールドワークのコース

九段会館−靖国神社−千鳥ヶ淵戦没者墓苑−皇居−最高裁−首相官邸−外務省−東京高裁−厚生省
※8月8日(日)のオプション池袋−サンシャイン60(旧スガモ・プリゾン)

フィールドワーク「日本人の戦争観・在日一世の歩いた道」 行程

九段会館 昭和天皇の即位を記念して1934年に建設された旧軍人会館。戦後、旧日本軍の軍人・軍属の「英霊」をたたえる遺族の団体である日本遺族会の本部となる。館内には結婚式場、レストラン、宿泊施設があり日本遺族会が経営している。
靖国神社 明治天皇の「尊い思し召し」により1869年に建てられた。第二次大戦においての戦没者(多くは軍人・軍属)を「国のために尽くした英霊」としてまつっている。
千鳥ケ淵戦没者墓苑 身元が分からない戦没者の遺骨を納める非宗教の戦没者追悼施設で1959年に完成。これを日本遺族会は「全戦没者の霊が鎮まる靖国神社とは自ずから、本質も、性格もちがう」としている。1963年8月15日に政府主催の全国戦没者追悼式が開かれた。これより8月15日は「終戦記念日」として定着していく。
皇居 「日本の象徴」である天皇の居所。かつては李氏朝鮮と友好関係をもっていた徳川幕府の歴代将軍の居城であった。
最高裁判所 1977年8月台湾在住の13名の台湾人元日本兵または遺族が、日本政府にひとり500万円の補償を求めて東京地裁に提訴した。結局、1985年に最高裁でも敗訴した。しかし判決の中で「ほぼ同様の境遇にある日本人と比較して著しい不利益を受けていることは明らかであり、(中略)早急にこの不利益を払拭し、国際信用を高めるよう努力することが、国政関与者に対する期待である」との「付言」があり、法律が制定され、88年9月から戦死者および重度戦傷者にだけは、ひとり200万円が支払われるようになった。
首相官邸 日本の首相の公邸。戦傷に対する障害年金を日本政府に求めている石成基さんが、1971年、車で乗りつけ首相に直訴を試みたが、聞き入れられなかった。
外務省 日韓請求権協定において在日韓国人に対して「影響を及ぼすものではない」という条文があるにもかかわらず、日本政府は日韓条約で決着済みだとしている。それに対して韓国外務部は「在日韓国人戦傷者は日本政府に対し援護補償を請求することができるものと判断する」(1994年)と回答している。ただ両国政府は再協議しようとしない。/td>
東京地方裁判所・東京高等裁判所 在日韓国人をはじめとしてアジア各国の人々から40以上の戦後補償裁判が提訴されてきた。一連の裁判の中では、日韓条約などを盾に請求はいずれも棄却されている。
厚生省 在日韓国人の旧軍人・軍属が障害年金を申請している。しかし厚生省は、現在日本国籍をもたないことを理由に却下し続けている。最近、大阪高裁から和解勧告が出されたが、国(厚生省)側は一方的に和解を拒絶した。
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